まず、家事調停はどのようなものか?
現在の運用は、調停委員任せで、裁判官は実質的にほとんど関与しない場合がままあります。
ところが、この調停委員の質が必ずしも保障されない。年齢の高い、ちょっとした名士的な人々の任命されるポストであることから、妻の立場に対する配慮が足りない、当事者の言うことをろくに聞かずにお説教ばかりしている、裁判官による和解の場合と同様に和解の強要や押し付けを行いがちになるなどといった経験をした弁護士は多いと思います。
和解の押しつけは、一部の調停委員を除き、法律の素人が行うものであるところから、裁判官による和解の押しつけ以上に問題が大きいものになりやすいです。
ことに、弁護士がついていない当事者は、守ってくれる人がいないので、気の毒なことになりやすいおそれがあります。
もう一つの家事調停の問題点は、訴訟法の大原則である「手続保障」の感覚が鈍い点にあります。平成25年に家事事件手続法が施行されるまでは、家事事件の当事者には弁論権、立会権、調査官の調査報告書の開示請求権等の、民事訴訟では当然の権利ですら十分に保障されていなかったのです。
申立書すら相手方に送付されないなどといった、問題の大きい手続が行われていたのです。
これは(家裁系裁判官に顕著と言えますが)裁判官のパターナリズム的な考え方が背景にあります。「お上」である裁判官がよきにはからってやるから、当事者である一般国民・市民は黙ってそれに従っていればいいのだ、という考え方です。
少し古いですが、2003年のある国際シンポジウムでの著名な裁判官の言葉です。
「裁判官のパターナリズムのどこが悪いのか? 当事者の中には今でも大岡越前や遠山の金さんのようなタイプを求める人もいる。日本の社会は、言葉や建前とは違って、自己責任や自立には消極的であり、本音では公権力のパターナリズムを求めている。」
あまりにも国民をバカにした考え方ではないかと思いますが、
共同親権導入は日本国民にとって前例のないもの、それだけに裁判所がパターナリズムを強めてくるおそれがあります。