裁判員制度は2019年5月21日に制度施行10周年を迎えます。

裁判とは、人が人を裁くものです。

 

「人を裁くことは、同時に自分も裁かれることではないか」

 

映画、「BOX 袴田事件 命とは」の中で、主人公の熊本判事が述べた言葉です。

 

袴田事件とは、昭和41年、静岡県内で味噌製造会社専務の自宅が放火され、一家4人(専務、妻、長男、次女)が殺害された事件です。

当時、従業員であった袴田巌さんが容疑者として逮捕され、強盗殺人罪、現住建造物放火罪等で起訴されます。

袴田さんは当初から犯行を否認しますが、20日間の拘留期限が切れる間際になって、突如犯行を認める供述(自白)をしました。

しかし、裁判では犯行を全面否認します。

映画の中で、熊本判事は、長時間(1日12時間が連日)に及ぶ取り調べ、自白調書における供述(犯行動機、犯行の経緯など)が二転三転することから、強制による自白ではないかと、警察の捜査に疑問を抱きます。

袴田さんが当時着ていたパジャマの血痕も、被害者や袴田さんの血液であるとの鑑定結果は提出されず、物証も乏しい。

そのような中、犯行から1年以上経過した後、検察から新証拠として、袴田さんが当時着ていたとするシャツ等の衣類が味噌樽から発見されたと、証拠提出されます。

熊本判事は、無罪と判断、しかし、他の2人の判事は有罪と判断し、多数決により有罪判決、死刑判決が下されます。

無罪と判断しながらも有罪判決を書かなければならなくなった熊本判事は、判決後、辞職し、血痕の付着した衣類が味噌樽に1年以上埋められるとどうなるかなど、独自に検証実験を行います。

検証の結果、改めて無罪と判断した熊本元判事は、「人を裁くことは、同時に自分も裁かれることではないか」、「俺は殺人犯と一緒っちゃ。俺を死刑にしてくれんね」と、冒頭の言葉を述べます。

 

映画はここで終わりますが、実際の事件では、

2回目の再審請求で、弁護団は、この衣類についた血痕のDNA型が袴田さんや被害者のものと異なるという鑑定結果を提出。

2014年3月の静岡地裁決定では、この鑑定結果が採用され、再審開始決定をし、袴田さんの釈放も認めました。

しかし、2018年6月、東京高裁は、上記DNA鑑定には深刻な疑問が存在するとして、上記再審開始決定を取り消しました。

弁護側が特別抗告をし、現在、最高裁で上記DNA鑑定の信用性を中心に争われています。

 

最高裁の決定を見守りたいと思いますが、このように地裁と高裁で判断が分かれたように、裁判制度は、証拠が十分にあるとは限らない、判断が難しい、時には真実が何か分からない中でも、人が人を裁いていかなければ維持できない不完全なシステムであるということを内包していると思います。

そうであるからこそ、裁判員裁判の施行から10年を迎えるにあたり、改めて

「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の原則に立ち返る必要があると思います。

 

信濃法律事務所 弁護士 臼井義幸